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「1984年」 著:ジョージ・オーウェル

1984年 著:ジョージ・オーウェル 訳:新庄哲夫 ハヤカワ文庫 

1984年、世界は三つの超大国に分割されていた。
その一つ、オセアニア国では<偉大な兄弟>に指導される政府が全体主義体制を確立し、思想から言語からセックスにいたるすべての人間性を完全な管理下に置いていた。
この非人間的な体勢に反発した真理省の役人ウィンストンは、思想警察の厳重な監視をかいくぐり、禁止とされていた日記を密かにつけはじめるが……
社会における個人の自由と人間性の尊厳の問題を鋭くえぐる問題作
(裏表紙より)

 

本に出逢ったきっかけはよく思い出せないが、どこかで全体主義や思想統制を扱った本として紹介されていたために興味を抱いて、Amazonを通して購入したのだと思う。
多くの積み本と同様、購入後二三ヶ月放置されていたのだが、今回手に取ってみて読み始めてみた。
(以降、作品の内容にふれます。ご注意下さい)

読み始めてしばらくは設定の把握に苦労したものの、次第に主人公の状況、世界が見えてくると、格段に面白くなってきた。
多くの独自の概念はボールド体で強調されているので、同様の独自設定のなされた書籍と比較して読みやすくはあると思う。

巻末解説の書かれたニュースピークをはじめ、憎悪週間、偉大な兄弟、多くのゴシック体が登場し、それらの多くは特に解説されることなく物語が描かれている。
物語を締めくくる第三部において、多くの言葉について明示的に示されることになるが、それまでに前後関係などから類推することもできる。
こうした類推を通じて、作品世界に没頭してしまった。

第三部の展開は途中から察しがついてきた。
それでも第三部に入り、物語がクライマックスを迎え、ウィンストンとオブライエンのやり取りに至ると、一気に読み進んで、読了。
物語の終わり方としては、悲劇、というべきなのかもしれないが、後味の悪さは不思議となかった。

 

作品が発表された1970年代と異なり、共産主義国家が解体し、社会主義はゆるやかな社会主義、社会民主主義が主流となった今日。
かつてのイデオロギー対立軸が崩壊して、私のような者にも、この作品の問題がよくわかるようになった。
「二重思考」を可能となる土壌である。

「二重思考」、文字通り、ある事柄について二通りの考え方を両立させることである。
相矛盾した事象に直面したとしても、教義的に正しいとされる事象を肯定する。
例えば、カラスは黒い、しかし、カラスは白い、というように、二重思考により、カラスは白いと言うことが真として認識することができる。

この二重思考を可能とするものとして、ニュースピーク、思想警察、過去の改編などが提示されている。
言語、教育、情報の統制を通じて思想を操作し、統制する。
問題はこの統制により、二重思考の方向性が定められていることだ。

矛盾した思考を両立させること自体は必ずしも悪いことではないと思う。
むしろ、相矛盾した二つの事象を受け入れる、というテクニックは無意識のうちに誰もが行っているであろうし、多様性を認めようと考えるならば、より明確に行うべき思考なのかもしれない。
逆に作中のいわゆる「二重思考」により、現実を見つめつつも、無意識的に見ない行為もまた、日常の中で部分的に行われている思考だろう。

重要なことは相矛盾した事象、情報、思考に直面した場合に、ひとまずそれをありのままに受け入れることである。
そのことすら満足にこなすのは難しいだろうけど、努力に値するのではないかな?
そして、出来ればそれを理解、分析し、自らの血肉にできれば、と。

 

 

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