やっぱり気になる児ポ法ネタ
まぁ、大変今更感がただよっていますが、単純所持禁止の方向に固まったと言うことで……
私の好きな小説の一節を紹介。
いつまでも第10巻が出なくて涙目な佐藤大輔著「皇国の守護者」 第8巻 楽園の凶器 第2章からの引用です。
(以下引用です。篤胤は主人公の祖父の政治家)
篤胤はさらにはっきりと告げた。
「高邁な理想と下劣極まりない妄想を共に抱けてはじめて人は人たりうる」
実は篤胤がこの言葉を用いるのは二度目であった。
進歩的な発想、と評すべきだろうか。難しいところがある。
篤胤は強烈な開明的保守主義の徒であった。世が飛躍的に発展するのは決行だが、その際にあまりに大きな犠牲を払うことには賛成できない、民草に大きな犠牲を払わせて飛躍を手に入れるより、日常の中でこまごまと手直しした方が最終的な成果は大きいと考えている。
それゆえか、道徳の押しつけ、耳心地よい正論の類を心底から唾棄すべきものと考えていた。そこには段階的な進歩に必要不可欠な、余裕というべきものが存在しないからであった。
かれはこう信じている。
確かに、一点の曇りもない信念はすばらしいものではある。
しかし、それが民草の暮らしを幸福にするとは絶対におもえない。異なる見解を抱く自由すら制限しかねないからである、と。
その点について篤胤がどれほど首尾一貫しているかについては過去に例がある。二〇年以上昔のことであった。
その当時、<皇国>では読本業が一種の停滞期に陥り、いずこの読本屋も経営に困難を覚えていた。ことに零細店にとっては危機であった。
当然のように、艶本の出版が盛んになった。景気がよかろうが悪かろうが、人が、ことに自分の男性的魅力に不足を感じている男たちがそうしたものを求めることはかわらない。いや、景気が悪ければこそさらに需要は増大するのだった。現実がかれらの希望を受け入れるだけの余裕を持たないのであるから。
艶本出版の活性化はたちまちのうちに経済原則へ従うこととなった。集中豪雨的な出版によって過当競争が生じた。ただ漫然と商売をしていたのでは生き残ることができなくなった。結果、各読本屋は過激な表現を取り入れることで他店との差別化をはかることとなった。巷に、人の想像力のもっとも醜悪な部分をさらに特殊化したような書物があふれかえった。
このことは当然執政府が問題視するところとなった。読本屋の中には、童女を性交の対象とするものすら含まれ、そこで行われる表現があまりにも露骨に過ぎるとされた。風紀の紊乱を招きかねないと、いや、紊乱そのものだと受け取られたのである。
執政府は総論において規制をおこなうべきであるとの立場をとった。
篤胤はただひとりそれに反対した。
むろん篤胤が醜悪極まりない艶本を好んだわけではない。かれはその種の道具を必要としたことがなかったし、童女云々ともなれば想像するだけで吐気を催したほどだった。また、実際の性交を目的として童女を扱った者に対しては極刑をもって臨むべきであるとも断じた(不可解なことに、執政府はこの点について及び腰であった)。
しかし、出版を規制すべきであるとの意見には、徹底的に反駁し続けた。理想と想像はまったく別物として扱うべきことを主張した。
「人は一枚岩ではない。良きものと悪きものをともに抱いて、はじめて自分の進むべき道を見いだせる。どちらか一方しか知らぬのでは--それがたとえ良きものであったとしても、人として生きていることにはならない」
篤胤は廟堂において堂々と述べた。かれ自身、触れるのもおぞましいと感じている艶本を自責の左右に積み上げながらであった。
この言葉には強硬な反論があった。当然だろう。篤胤はただ正義と道徳を信ずる者を異常性愛者や社会不適応者と同列に扱ったに等しい。
激した正義と道徳の下僕たちは篤胤に噛みついた。
そのようなものが天下に存在するのは不快極まりない。それとも駒州公(注:篤胤のこと)は、顔をそむけたくなるものを好まれるのか。
これに対し、篤胤は次のように応じた。
「快不快は情である。情とはもとより個人に拠るものであって、御国が容喙するには及ばない。むしろ政断ではなく情断でもって動くことこそ御国にとって恥である。国権とは民草を縛るためにあるのではない。あくまでも御稜威が下、民草の鼓腹撃壌を安んずることを目的として陛下よりお預かりしたものである。我らがそれを忘れぬ限りにおいて、民草は陛下が忠良なる赤子たりえ、御国が万年の栄華に与力する。よって個人が行為をともなわない願望の範疇においてなにを好もうと、これを国権が阻むべきではない」
反論はさらにあった。ならば、そのようなものが存在することによってもたらされる風紀の紊乱をいかに防げというのか。
篤胤の返答は明快であった。
「そのための教育ではないか。学舎で、兵舎で、御国は民草に良きものを学ばせる。世間は良きものと悪きものを共に伝える。そうしてはじめて、人は何が自分にとって意味があるのかを知る。恥を学ぶ。不安があるならば、教育への徹底的な援助を行えばよい。いや、むしろそれこそが国権において為すべきものである」
そう述べたのち、高邁な理想と下劣極まりない妄想……と締めくくったのだった。
投稿者: piston 日時: 2009年07月12日 00:46 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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